1998: アレクセイ・ウルマノフ • 1985: アレクサンドル・ファデーエフ • 1979: ウラジーミル・コバリョフ • 2013/14: 金博洋 • 1988: カート・ブラウニング • 2012: 閻涵 • 2003: ジェフリー・バトル • 2014: 村上大介 • 1989: ペトル・バルナ • 1981: ノルベルト・シュラム • 69: 能登康宏 • 01: 髙橋大輔 • 1978: デニス・コイ • 羽生 結弦(はにゅう ゆづる、英語: Yuzuru Hanyu、1994年(平成6年)12月7日[7][6] - )は、宮城県仙台市泉区出身のフィギュアスケート選手(男子シングル)。全日本空輸 ANA所属[14]。早稲田大学(人間科学部)卒業[15][16]。, 主な表彰は、2014年・2018年紫綬褒章[17][18]。2018年国民栄誉賞最年少受賞者[19][20]。, 主な戦績は、2014年ソチ五輪・2018年平昌五輪2大会連続オリンピック金メダリスト。2020年主要国際大会6冠全制覇を果たしスーパースラム・ゴールデンスラム。2014・2017年世界選手権各優勝。2013・2014・2015・2016年グランプリファイナル4連覇。2012 - 2015年・2020年全日本選手権通算5回優勝。世界ランキングは2013/14 - 2017/18年まで5シーズン連続1位[21]。, 主な記録は、2016年オータムクラシックのショートプログラム においてISU公認の大会で史上初の4回転ループに成功[22]。ISUジャッジングシステムのもとに開催された国際大会において、史上初めてショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手。+3 / -3 GOEシステム時代におけるショートプログラムで112.72点、フリースケーティングで223.20点、トータルスコア330.43点の世界記録保持者[23]。2019-20シーズンの終了時までに世界記録を通算19回更新している。, 1994年12月7日、宮城県仙台市泉区に生まれる[7][6]。名前は「弓の弦を結ぶように凛とした生き方をしてほしい」と父が命名した。鷹乃杜幼稚園、仙台市立七北田小学校[2]、七北田中学校[24]、東北高校[25][26]、早稲田大学人間科学部(通信教育課程)卒業[27]。血液型はB型。, 2歳のころから喘息(ぜんそく)の持病があり、スケートを始めた当初の目的のひとつは、喘息を克服することにあった[28]。15歳のときに、喘息の持病がありながら五輪金メダリストになった清水宏保に会う機会があり、スケートを続けていくための助言を得た経験がある[29]。, 肺を大きく開いて息を吸い込むことができないため、特に10代のころは体力や持久力の面で劣ると指摘されてきたが、投薬治療や吸入薬、鍼治療、気道を開く施術、移動時や練習時にマスクを着用することで心肺機能を上げるなどの対策を続け、体力面のハンデは大幅に改善された[30]。しかし完治したわけではなく、特に練習拠点をカナダに移してからは、環境の変化により激しい発作に襲われることが増え[31]、現在(2017年時点)も発作を起こすと明かしている。, 演技前に必ず行う胸の前で十字を切るような動作は、実際には「士」の形を描いており、「ジャンプの回転軸と両肩を平行に保つ意識を確認するためのおまじない」である。2015年11月以降から、両手で天を仰ぐような動作を最後に加えるようになった[32]。, 影響を受けた選手として、エフゲニー・プルシェンコ、ジョニー・ウィアー、ステファン・ランビエール、ハビエル・フェルナンデス、ディック・バトンを挙げている[33]。, 特に2002年ソルトレイクシティ五輪でのプルシェンコの演技を見て心酔し、技の手本とするに留まらず、彼のマッシュルームカットまで真似した時期もある[34][35]。彼の得意技であったビールマンスピンをプログラムに取り入れリスペクトを示してきたが、2018 - 2019シーズンには『ニジンスキーに捧ぐ』へのトリビュートとなるプログラム『Origin』に自ら挑んでいる[36]。これに対し、プルシェンコも羽生を賞賛する言葉を多々述べている[注 1]。[36][37][38][39][40]。2015年のNHK杯で3つの世界記録を更新した翌日のインタビューでも、理想とする王者像はプルシェンコであり「彼のような存在になれるように努力していきたい」と述べている[41]。, 2014年4月に仙台市の観光大使に就任する[42]。現在、第3期となり引き続き観光大使を務めている[43]。また 2018-2019: ネイサン・チェン, 1995/96: アレクセイ・ウルマノフ • 1996/97: エルビス・ストイコ • 1997/98: イリヤ・クーリック • 1998/99: アレクセイ・ヤグディン • 1999/00-2000/01: エフゲニー・プルシェンコ • 2001/02: アレクセイ・ヤグディン • 2002/03: エフゲニー・プルシェンコ • 2003/04: エマニュエル・サンデュ • 2004/05: エフゲニー・プルシェンコ • 2005/06: ステファン・ランビエール • 2006/07: ブライアン・ジュベール • 2007/08: ステファン・ランビエール • 2008/09: ジェレミー・アボット • 2009/10: エヴァン・ライサチェク • 2010/11-2011/12: パトリック・チャン • 2012/13: 髙橋大輔 • 2013/14-2016/17: 羽生結弦 • 2017/18-2019/20: ネイサン・チェン, 1999: 本田武史 • 2016: パトリック・チャン • 2001/02: スタニスラフ・ティムチェンコ • 04: 織田信成 • 2008: ジェフリー・バトル • 2018: 宇野昌磨  • 2002/03: アレクサンドル・シュービン • 1980: アレクサンドル・ファデーエフ • 14: 宇野昌磨  • 2009: エヴァン・ライサチェク • そして羽生くんの、音ハメがやばいのは相変わらず。ロックスターになりきって煽りもまじえつつキレキレの演技を見せるさまは、パリ散やレツクレの時よりさらに堂に入ったものになっている。 2000: 田中総司 • 2017/18: アレクセイ・クラスノジョン • 羽生結弦が公開した3本の芸術的動画。 ライター松原孝臣はこう読み解いた。 posted 2020/05/09 20:00 2017: ネイサン・チェン • 羽生結弦 自分への挑戦」(2018年1月15日、日本テレビ), 「Continues ~with Wings~ 羽生結弦 凱旋、そして感謝の公演<生中継>」(2018年4月15日、, 羽生結弦プログラムコンサート 〜Music with Wings〜(2020年2月15日、, 24時間テレビ38 つなぐ〜時を超えて笑顔を〜(2015年8月22日、日本テレビ) - 「被災地の想いをつなぐ 羽生結弦アイスショー」と題し、, 24時間テレビ39 愛〜これが私の生きる道〜(2016年8月27日) - 「羽生結弦 被災地に愛を込めて…生アイスショー」と題し、, 24時間テレビ40 告白〜勇気を出して伝えよう〜(2017年8月26日) - 自身の, ファースト写真集『YUZURU 羽生結弦写真集』は初週売り上げ2.3万部を記録し、, 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2015-2016(2016年7月29日、Ice Jewels特別編集、, 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2016-2017(2017年7月29日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明), 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2017-2018(2018年7月14日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明), 羽生結弦 平昌オリンピック2018 フォトブック(2018年3月9日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明), YUZURU II 羽生結弦写真集(2018年10月15日、集英社、撮影:能登直), 「YUZU’LL BE BACK~Dancin’ on The Edge2」(2019年6月11日、, 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2018-2019(2019年7月19日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明), 羽生結弦 SEASON PHOTOBOOK 2019-2020(2020年6月1日、Ice Jewels特別編集、舵社、撮影:田中宣明), 「YUZU’LL BE BACKⅡ~Dancin’on The Edge3」(2020年6月19日、スポーツニッポン新聞社、撮影:小海途良幹、長久保豊), 『羽生結弦 カレンダー 2015年』壁掛け版&卓上版(2014年9月24日、ハゴロモ), 『羽生結弦 カレンダー 2016年』壁掛け版&卓上版(2015年9月2日、ハゴロモ), 『羽生結弦 カレンダー 2017年』壁掛け版&卓上版(2016年8月31日、ハゴロモ), 『羽生結弦 カレンダー 2018年』壁掛け版&卓上版(2017年9月26日、ハゴロモ), 『羽生結弦 カレンダー 2019年』壁掛け版&卓上版(2018年9月15日、ハゴロモ), 『羽生結弦 フィギュアスケート2016-2017シーズンカレンダー 壁掛け版&卓上版』(2016年9月30日、, 『羽生結弦 フィギュアスケート2017-2018シーズンカレンダー 壁掛け版&卓上版』(2017年9月29日、Sportiva特別編集、集英社、撮影:能登直), 『羽生結弦 フィギュアスケート2018-2019シーズンカレンダー 壁掛け版&卓上版』(2018年9月14日、Sportiva特別編集、集英社、撮影:能登直). 05: 小塚崇彦 • 16: 友野一希  • 1953-1956: ヘイス・アラン・ジェンキンス • 2014: 羽生結弦 • !”, http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000015.000010201.html, “羽生結弦選手がオーダー枕を作る、東京西川「 &Free」新テレビCMが9月28日(水)から全国放映開始! 「ソチ 2014 冬季オリンピック、平昌 2018 冬季オリンピックに引き続き P&Gママの公式スポンサー」アンバサダーに 羽生結弦選手を起用! 2004: ジョニー・ウィアー • 2013: 髙橋大輔 • 1990: イゴール・パシケビッチ • 2009: パトリック・チャン • 92: 相吉学 • 1965: アラン・カルマ • 1901-1905: ウルリッヒ・サルコウ • 2019: 羽生結弦  • 49: 川島達二郎 • 1980: ヤン・ホフマン • 2009: ブライアン・ジュベール • 53: 大橋和夫 • 2007: スティーブン・キャリエール • 31: 長谷川章夫 • 89: 小山朋昭 • 2012: パトリック・チャン • [387]。FSは、トリプルアクセルで転倒する等、172.05点にとどまり、合計282.77点で2位となった。「調整がうまくいかなかった。体がどんどん、日に日に劣化していく感じだった」「正直言って、僕の実力と技術が足りなかった」と試合後に語り、「一緒にまた引っ張っていけたら。頑張ろうね、おめでとう」と優勝した宇野昌磨を称えた[388][389]。今大会を含め5週で3試合という大変過酷な日程であった。今後は四大陸選手権への出場が発表され、来年3月にモントリオールで開催される2020年世界フィギュアスケート選手権の代表に選出された[390]。, 2月四大陸選手権に4年振りに出場。楽曲を変更し、SPは「バラード第1番」、FSは「SEIMEI」に戻すことを発表。それぞれ通算4度目・3度目の再演となる[391]。変更理由については、プルシェンコとウィアーの背中という理想が高いゆえに自分の演技として完成できないと思い、より自分らしくいられる以前の楽曲を戻したと明かした[392]。SPはトリプルアクセルと連続ジャンプの順番を替え、4回転トーループ-3回転トーループを先に決める構成に変更。4回転サルコウで4.43点の高い加点を得るなど演技をまとめ、111.82点と世界最高得点を更新[393]。FSでは4回転トーループで転倒するなどミスがあり187.60点となるも、合計299.42点で初優勝となった[394]。これにより、オリンピック、世界選手権、四大陸選手権(ヨーロッパ選手であれば欧州選手権)、グランプリファイナル、世界ジュニア選手権、ジュニアグランプリファイナルの主要国際大会6冠達成したことになり、男子シングル史上初のスーパースラムを達成した[395]。なおジュニアグランプリファイナル開催前のアレクセイ・ヤグディン、エフゲニー・プルシェンコが5冠。女子シングルではキム・ヨナ、アリーナ・ザギトワが達成している[396][注 7]。, 3月開催予定の世界選手権は、《COVID-19》の感染拡大を受け、カナダ・ケベック州政府により11日(日本時間12日)、世界選手権(モントリオール、16~22日)を中止すると発表した [397]。また、国際スケート連盟は、オンライン理事会で協議した結果(4月16日)大会開催を断念して中止とすることを決定した[398]。, 7月国際スケート連盟は、新規創設によりISUスケーティングアワードを開催(2019/20シーズン3月の世界選手権にあわせて行われる予定が《COVID-19》による影響で延期されていた)。授賞式はオンラインで開催され、羽生は「最優秀選手賞」に輝いた。初代「MVS= Most Valuable Skater」受賞者となった[399]、羽生は「皆さんのおかげで、こうやってスケートができていること、自分が追い求めるスケートができることが本当に幸せです。いつも応援ありがとうございます。これからも一生懸命、自分の理想のスケートを追い求めて頑張っていきます。どうか応援よろしくお願いします」と感謝の言葉を述べた[400][401]。, 8月⽇本スケート連盟より、8月28日付けで、ISUグランプリシリーズ欠場が発表された[402]。, 9月早稲田大学(人間科学部)を卒業した[403]。8月に3Dモーションキャプチャによるジャンプを研究テーマにした卒業論文[404][405]の完成を明かしていた。, 12月全日本選手権、葛藤の末出場を決意、コロナ禍の影響で拠点のカナダに渡れず、単独の国内での練習を余儀なくされた厳しい練習環境の中、SP・フリーともに新プログラムを作り上げ、帯同コーチ不在で挑む、約10ヶ月ぶりの実戦復帰となった[406]。SPは、全てのジャンプを成功、一つのスピンが無得点になるも103.53点で首位となった[407]。FSは、「天と地と」を鮮やかに舞い圧巻のノーミスの演技を披露し、国際スケート連盟(非公認)ながら、自己ベスト212.99点を上回る215.83点をたたき出し、合計319.36点をマーク。冒頭の4回転ループを含む、4回転ジャンプは全て加点3.60点以上を獲得し、演技構成点は、各項目で10点満点をつけるジャッジが続出し 5年ぶり通算5回目の優勝を飾った[408]。今大会は、来年3月の世界選手権(ストックホルム)代表選考会を兼ねており、優勝者の羽生は代表に決まった[409]。, Hope & LegacyView of SilenceAsian Dream Song作曲:久石譲振付:シェイ=リーン・ボーン, 2012年から2017年までの間に 12回世界記録を更新している[433]。この世界最高得点は、ルール改正によりスコアがリセットされた 2018 - 2019シーズンより世界歴代最高得点の歴史的記録として保存されている[434], 1896: ギルベルト・フックス • 次戦は11月のNHK杯を予定していたが、9日の大阪市中央体育館での公式練習にて4回転ルッツで転倒した際に負傷[270]。翌日午後に日本スケート連盟が「右足関節外側靱帯(じんたい)損傷」との診断結果を発表し、正式に欠場が決まった[271]。この時点でグランプリファイナル出場を逃すこととなり、史上初となる5連覇の可能性は消滅した[272]。, トロントに戻り、12月の全日本選手権への出場を目指して治療に専念したが[273]、骨と腱にも炎症があるなど回復が遅れ、練習を再開することができず断念[274]。18日に日本スケート連盟が正式に欠場を発表した[275][276]。引き続きリハビリを優先し[275]、全日本選手権終了時点の段階で、ジャンプ抜きの氷上練習を再開した状態にあると発表。逆算して回復が間に合う見込みであること、現世界ランキング 1位であり、規定に沿って正式に平昌オリンピック代表に選出された[277]。, 1月の四大陸選手権も回復優先のため回避し[278]、2月9日に開幕した平昌オリンピック団体戦への出場も「完全回復にあと1週間必要」とのブライアン・オーサーの判断により回避[278]。11日に現地入り後は慎重に調整。まだ日本勢が金メダルを獲得していない話を記者に向けられると「誰が(金メダルを)とろうが、僕もとります」と断言[279]。約4か月ぶりとなる復帰戦として、男子シングル66年ぶりの五輪連覇がかかる個人戦に臨む[280]。, 2018年2月16日、江陵アイスアリーナでショートプログラムに出場。4回転ループは回避するも[281]、演技後半のトリプルアクセルは、審査員全員からGOE満点の評価を得るなどすべてのジャンプを完璧に決め[282]、ブランクの不安を払拭する圧巻の演技を披露した[283]。自己ベストに肉薄する111.68点をマークし首位発進となる[284]。 1985: ヨゼフ・サボフチク • 62: 服部義昭 • 08-09: 羽生結弦 • 1974: ロン・シェーバー • 1912-1913: フリッツ・カチラー • 1929: ギリス・グラフストローム • 2019: 樋渡知樹 • 2005/06: 小塚崇彦 • 2006: 小塚崇彦 • 1998/99: ヴァンサン・レステンクール • 1998: デリック・デルモア • 90-91: 及川史弘 • 1994-1995: エルビス・ストイコ • 1979: ヴィタリー・エゴロフ • 37: 小林達雄 • 1996: アレクセイ・ヤグディン • 1925-1928: ウィリー・ベックル • 2003: 本田武史 • 72: 清川秀峰 • 2013: ケヴィン・レイノルズ • JAPAN, 「Yahoo!検索大賞2014」、フィギュアスケート「羽生結弦」さんが“大賞”と“アスリート部門”をダブル受賞!, “羽生結弦選手Yahoo!検索大賞 2018で「アスリート部門賞」&「スペシャル部門賞」をW受賞!2014年には大賞なども”, http://www.edgeline-tokyo.com/entertainment/24338, 武井咲、羽生結弦が「きものベストドレッサー2018」に選出!凛々しい紋付袴・着物姿が人気, 2019年の「ローレウス世界スポーツ賞」年間最優秀復帰選手部門にノミネートされたフィギュアスケートの羽生結弦(ANA), 第7回スペイン日本財団賞の授賞式を開催、マドリードでのイベントには、フェルナンド・バレンズエラ外務副大臣とスペイン日加評議会財団のジョセップ・ピケ会長が出席。スペインの日本大使館は、清水徹が代表が出席(2019/10/29), “平昌2018冬季オリンピック応援キャンペーンに 男子フィギュアスケート・羽生結弦選手を起用!”, http://prw.kyodonews.jp/opn/release/201703149844/, “P&G新TV-CM「『お母さん、ありがとう。』羽生選手篇」を11月17日(金)から全国放映開始!”, https://prw.kyodonews.jp/opn/release/201711107818/, https://www.ana.co.jp/tokyo2020/pyeongchang/, http://news.walkerplus.com/article/49862/, http://www.oricon.co.jp/news/2048568/full/, ““ゆづ”羽生結弦、意外すぎるヒミツ「耳動きます!」今季は「技術の裏づけである表現力高めたい」”, “羽生結弦がロッテ「ガーナミルクチョコレート」新CMに出演!元気すぎる「OK」ポーズが完成!”, http://www.wws-channel.com/news2/20763.html, http://www.lotte.co.jp/products/brand/ghana/cm_hanyu/index.html, https://news.walkerplus.com/article/169391/, 羽生結弦がロッテWEB動画に出演 自身キャラ化のアイテムに「スケーターっぽく…」2019年09月04日, 羽生結弦のキャラクターが誕生&新WEB動画公開!「恥ずかしくなってきた(笑)」2019/09/04, 羽生結弦バージョンのガーナチョコ、受注販売へ ロッテ (2019年8月30日)朝日デジタル, 羽生 新CM撮影で打ち明けた秘話“こゆづ”に原点回帰で頂点へフィギュアNHK杯22日開幕(2019年11月21日)スポニチ, 子どものころのエピソードを語る「毎日泣いて『スケートやめたい』」<ロッテ新CMインタビュー>(2019/11/21)ザテレビジョン, http://www.daily.co.jp/gossip/2014/10/20/0007433546.shtml, http://www.lotte.co.jp/products/brand/xylitol/white/index.html, http://www.cinemacafe.net/article/2015/10/15/34861.html, http://news.mynavi.jp/news/2016/10/28/016/, https://web.archive.org/web/20141225172319/http://news.mynavi.jp/news/2014/12/25/401/, http://www.jrc.or.jp/activity/blood/news/150101_002913.html, http://www.huffingtonpost.jp/2016/12/21/yuzuru-hanyu-jrc_n_13781540.html, http://news.mynavi.jp/news/2016/12/22/014/, “復興支援をはじめとした、日本赤十字社の活動に力を 東日本大震災復興支援事業のご案内 メッセンジャーに羽生結弦選手を起用”, http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000012272.html, https://www.bathclin.co.jp/news/2015/0220_01.htm, http://news.mynavi.jp/news/2015/02/20/467/, https://www.bathclin.co.jp/news/2016/1014_2373/, “寝具メーカー「東京西川」の新快眠寝具トータルブランド「&Free」のテレビCMが4月5日㈰から放映開始! 2007: エヴァン・ライサチェク • 35:  有坂隆祐 • 2010: 羽生結弦 • 1999: イリヤ・クリムキン • 1964: マンフレート・シュネルドルファー • 1998-2000: エフゲニー・プルシェンコ • 1989: ヴィアチェスラフ・ザゴロドニュク • 2003: アレクサンドル・シュービン • 1984: ヴィクトール・ペトレンコ • 97-98: 竹内洋輔 • 1989-1991: カート・ブラウニング • 1979: (非開催) • 1997: イリヤ・クーリック • 2017: ネイサン・チェン • 1997: エルビス・ストイコ • 2000: エルビス・ストイコ • 名古屋に住むTOYOTA系社員の家族である私は、3.11東日本大震災でも、今回の新型コロナウィルスのパンデミックでも、直接的な大打撃を受けずにこの10年生きてきました。羽生選手がどんな思いでこの10年間を過ごして来たのか、想像はできても、本当の意味で実感することができない私は、それこそ罪悪感を持って彼の活躍を見ています。何も打撃を受けていない私なんかが「羽生くん、苦悩と葛藤を乗り越えてすごいね!」なんて軽々しく言えないなと思うのです。所属先であるANAさんが世界に飛行機を飛ばせなくなり、そんな中で「自分だけ好きなこと、スケートをするということを追求していていいのだろうか?」と羽生選手はもの凄く悩んだでしょう。だからこそ「出るからにはいい演技をしなければ。それが自分の果たすべき責任」という思いは相当なものだったでしょうし、実際にそれを成し遂げた羽生選手には驚嘆するしかありません。ここへ辿り着くまでにどれほどの努力と苦しみがあったのかと思うと、本当に想像を絶すると言いますか、想像なんてできるはずもないと痛感します。売上や利益などの数字の上ではそこまでの打撃は無かったTOYOTA、その所属選手である昌磨くんや紀平さんが「試合に出られて嬉しい~」って(屈託のないように見える)笑顔でインタビューに答えているのを見て、私なんかは彼らの側だな、パンデミックで打撃を受けた人々の本当の苦しみなんかわかるはずないなと思いました。(もちろん昌磨くんや紀平さんだって、私の知り得ない苦しみの中から這い上がって来たんでしょうけどね。誰にも苦悩と葛藤と罪悪感はありますよね)羽生選手は試合後の会見で「僕が1位になることで、誰かが2位になったり、3位になったり、犠牲があるということを感じながらやっている」と言ってました。それが謙信公の戦いの価値観と重なると。ジュニア・シニア全ての大会を征するというスーパースラムを達成したからこそ感じたのか、あるいは昨年のさいたまワールド、トリノファイナル、そして全日本でひとつも勝てなかったからこそ敗者の気持ちを痛感したのか、そんな羽生選手の心の奥底など私にはわかりませんが、コロナ禍を通してもある意味「勝者」と「敗者」がいる現状、いろんな複雑な感情があるでしょう。(勝っても負けても苦しみはそれぞれにある)それでも私は今年羽生選手がずっと勝者だったことはよかったな、正しい者が勝利を得たなと思っています。2月の四大陸選手権で勝ったこと、ISU Skating AwardsでMVSに輝いたこと、今回の全日本選手権で王者に返り咲いたこと、すべて羽生選手の努力と選択は正しかったなあと心の底から思います。他の誰が勝っても、ここまで多くの人が救われることはなかったと思いますし、誰よりも多くの人を喜ばせ幸せに出来るのは羽生選手しかいない、それは事実なんだと思っています。(などと単なる部外者のいちファンが言うのは全く傲慢なことかもしれませんが、羽生選手が勝つことで無用なファン同士の諍いも最小限に食い止めることができるのも真実だと思うのです。羽生選手が負けたあとネット内に嵐が吹き荒れるのはやはり心が痛いですし、羽生選手が勝てば他の選手もそのファンもジャッジでさえもそこまで叩かれることなく、ある意味守られると思うのです)羽生選手はずっと仙台で練習以外は外出することなく孤独と闘ってきたそうです。どん底の期間が長かったと。コーチたちとリモートでやり取りできるようになったのも11月くらいからって言ってました。どうしてそこまで独りで頑張ってしまったのかは、当たり前ですけど私にはわかりません。けれど(他人と比べてもしかたないですが)東京五輪が延期になってしまった夏のアスリートたちも相当苦しかったと思います。世の中がこんな状況で自分たちだけオリンピックを目指してスポーツをしていていいのだろうか、感染拡大中の日本で試合をしていていいのだろうかと皆さん葛藤していたと思います。本当に夏の甲子園を中止した同じ日本で起きていることなのかと驚くほど多くの全日本選手権がこの冬開催されていました。羽生選手が内村さんや地元の張本くん、あるいは病気から競技の世界へ戻って来た池江さんたちと本音をさらけ出して語れる関係があるといいかもなあなんて勝手なことも思いました。今朝、BS1で『ウィルスVS人類3 スペイン風邪 100年前の教訓』という番組の再放送を見ました。100年前に世界的なパンデミックとなったスペイン・インフルエンザは3年に渡って4千万人から1億人の死者を出したそうです。それは第一次世界大戦の死者数1千万人を大きく超える数字でした。日本でも関東大震災の10.5万人を遥かに超える45万人の死者を出した恐ろしい感染症だったそうです。スペイン・インフルエンザは第一次世界大戦中に発生したこともあり、各国では感染状況を明らかにすることが戦局に影響するといって詳細を隠蔽したことが感染を悪化させたとも言われています。それは現代も変わっていませんね(中国とかロシアとか)。※参考:2020年12月31日現在 新型コロナウィルスの感染者数は世界で約8,250万人、死者数約180万人と発表されています(←本当はもっと多いらしいです)。日本の感染者数は約23万人、死者数は約3,200人です。東日本大震災の死者・行方不明者は約1.8万人。今は医療技術も格段に発展し、情報伝達もグローバル化し、100年前のことを教訓とするなら、私たちは違う戦い方ができるはずと番組の中で歴史家の磯田さんが仰っていました。「パンデミックは世界のパワーバランスを変えるほどの社会的、歴史的な事件。こういうときは本当は世界で手を携えてともにウィルスと戦うべき」みたいなことを語っていらっしゃいました。国と国、人と人が、敵味方に分かれて戦うのではなく、共に手を取り・・・。(オリンピックはひとまず脇へ置いておいて、ワクチンの供給と特効薬の開発を協力し合って、経済的な援助も互いに配慮しあって・・・が今はいいのかな?)そんなのは所詮綺麗ごとかもしれませんが、来年が少しでも穏やかで健やかな世の中になりますように。まとまりのない話になってしまいました。m(__)mでも羽生選手が今目指す勝利もそういうところにあるのかなあと勝手に想像しながら、雪の名古屋の大晦日をひとり静かに過ごしています。皆さん、よいお年を。, 羽生結弦選手全日本出場!ついにその日が!!(いろいろ長かった・・・すでに死にそう・・・)2020.12.24 フジテレビLiveNewsα 画面撮り長野のホテルなんでしょうか?12/23(水)午後7時頃のインタビューだそうです。お肌の調子が良くて、顔色も良くてそれは安心しました。「率直に言えば、出たいっていう気持ちよりも、リスクの方が自分の中では大きい」「自分の出たいという気持ちとか、自分が試合に出場して演技したいとか、皆さんの前でどうしたいっていうのよりも」「まずは自分が感染拡大のきっかけにならないように、そして自分自身も罹らないように」「今いろんな地域で医療がたいへんなことになっていたりとか、もちろん財政がたいへんなこともニュースとかでよく目にしているのでわかります」「自分が、今最前線で頑張っていらっしゃる医療の方々に、負担にかからないようにすることが多分一番大切だと自分の中では思っているので」「こういう決断をしたからこそ責任を持って、しっかりといい演技をするべきだと思っています」王者の責任・・・重いですね。もの凄い葛藤があったんですね、当たり前ですけど。4Aについては、「跳べるイメージとかも具体的に膨らんできてて、あとはそれに体を乗せられるか、乗せられないかぐらい」「今回はやらないですけど、率直に言えばアクセル跳びたかった、もっと練習して来たかった」「ただそれだけじゃない。ひとりで練習して改めて気付いた」「4A入れて安定させられるのか?それでぐちゃぐちゃになったら、このプログラムに対してどんな気持ちでやるんだ!?」「そういうのいろいろ割り切れるようになったなぁって思ってて、なんかちょっと大人になったんですかね?w そういう割り切りを出来るようになりました」「自分がやるべき演技っていうのは今回のフリーとショートである程度出せるんじゃないかなと思っています」だそうです。(4Aはやらないけど、大人になってもっと大きなリスクを背負ったのかな?“出場する”ということを・・・)新プロは見ていただいての楽しみに・・・。「SEIMEIとバラード1番と比べちゃうと、あそこまでの自分の自信の塊りみたいなところまでには行ってないです。ただ、誰かの心に何か感情が灯る何かの気持ちが灯るきっかけになればいいなと思います」羽生選手のその強い強い責任感に、いろんな感情が溢れ出て来ます。羽生選手のその決断を、ちゃんと考える大きなきっかけにしたいです。「出たい」より「リスクの方が大きい」けど「出るからにはいい演技をすることが自分の責任」・・・。どれほどのものを背負っているのかを考えると・・・。「出る」と決断したその決め手は何だったのかは私にはわかりませんでしたが、(それもやっぱりいろんな責任感からなのかな?今回流れたインタビュー映像の中では「勝ちたい!」とは言わなかったですね・・・メラメラには見えなかった・・・自分が勝ちたいよりももっと大切なことがあるってことなのかな?)とにかく皆さん、無事に!よい大会となりますように!Bon Courage !